Y染色体ハプログループC1a1
ここではC1の分岐、C1a、C1b、C1a1、C1a2をとり上げようと思う。字数の関係とC2のサブクレードがはっきりしないこともあり、CF、C、F、C1、C2は後程。
なお、このページも、先のD1bと同様、全ての論文を入れた統計にはなっていません。なので、徐々に追加していきます。ご了承ください。
当分は前の「Y染色体ハプログループD1b」の追加修正に取り掛かります。ハプログループ分類の基礎データこそが物を言うからです。
【C1b】
C1*集団からの移動・71,000~60,000年前
C1b*への変異・・・・・~36,260年前(遺骨)
変異マーカー・・・・・・・・F1370
C1b*かそのサブクレードと考えられる現在最古の遺骨は、38,680~36,260年前ロシアのドン川右岸コステンキで見つかった遺骨Kostenki14*(mtDNAはU2)。
コステンキのおよその位置。
骨格をもとに作成されたコステンキC1b
ドン川の位置。左下方の細い川がドン川です。太い川がヴォルガ川。ヴォルガ川については後程。
この遺跡では、32,990~31,840年前のCTかそのサブクレード(mtDNAはU2)の遺骨Kostenki12が見つかっている。
ここからC1bのサブクレードに入りますが、その前提として、75,000~70,000年前、インドネシアのスマトラ島、トバで過去10万年で類を見ないほどの破局噴火が発生しました。
そして70,000年前人類を含めた生物が激減しました。この2つの現象を関連づける学説(トバ・カタストロフ理論)というのもあります。ボトルネック効果や創始者効果という理論もありますが、そのうちやるかと思います。
C1b1-K281
C1b1を語るのに忘れてはならないのがこれ。
およそ71,000~60,000年前、世界は突然最終氷期の20,000年前と同じ位の寒い時期がかなりの長期間続きました(この氷期の時期、寒さの程度は多少異なる)。その際、北極海の海がどんどん氷結し、海水面の高さがかなり低くなっていました(なお、日本とは違って赤道直下で海水が温められ暖流が作られているため、この地域の水温は高い。北極海とのこの地域の水温差が北半球の太平洋の海流、しいては高気圧・低気圧を作っている。これも後程)。
当時は現在より約130m弱海面が低く、緑色の地域が陸地になっていたと推定され、インドシナ半島はブルネオ島やスマトラ島、ジャワ島等と繋がっていました。大きくなったインドシナ半島を通称スンダランドと呼びます。
一方でニューギニア島、オーストラリアとは完全に離れていたと、今のところ考えられています。フィリピンやスラウェシ島は微妙なところですが、離れていたと考える方が多いと思います。但し、学会の発表もありますが、海水面の高さについて確定するには至っていないと私は思っています。大西洋はともかく、日本海・地中海・赤道沿岸等、全ての海域が一律の低さとは考えづらい。北極海だけでは説得力に乏しく、地域・海峡等の地形によってばらつきが必ずあったと考えています。具体的に、海底の地質調査や、湖や低地がまず湾になり、次に内海になっていくという段階を経て、海底地形等がどの位の数値で変わっていくか等の細かなシュミレーション実験が必要です。東日本大震災の想像を遥かに超えた津波のメカニズムと同様、海は色々なことが起こり得るものなのです。
本題に戻り、統計からは、C1bはスンダランドにやってきた最初の人類と考えられ、そこからC1b2の大多数がスンダランドから海を渡ったと考えられます。
C1b1a-B66
C1b1a1-M356
ネパール6/246=2.44%
タライ平原中央部チトワン郡の2つの村のタルー族1/77=1.3%、ネパールのチトワン郡のヒンドゥー人2/26=7.69%(Simona Fornarino2009)、ネワール族2/66=3.03%、カトマンズ1/77=1.3%(Gayden,Underhill2007)。
インド14/728=1.92%(Sengupta S2006)。
インド各地の諸民族のうち、南部のIrula1/30=3.33%・Iyer2/29=6.9%・Vanniyar4/25=16%、西部のMaratha1/20=5%・NavBuddha1/14=7.14%、北部のChamar1/18=5.56%・Rajput1/29=3.45%、東部のLodha1/20=5%・Mahishya1/13=7.69%、東北部のChakma1/4=25%。
サウジアラビア2/157=1.27%(Abu-Amero, Underhill2009)。
UAE2/164又は4/328=1.22%(Cadenas, Underhill2008、Abu-Amero, Underhill2009)。
パキスタン2/201=1%
Abu-Amero, Underhill2009とSimona Fornarino2009の南部ドラビアのBrahui1/25=4%を含む。
トルコのアナトリア2/523=0.38%(Abu-Amero, Underhill2009)。
中国のシベ族(新疆ウイグル自治区)6/61=9.84%、ウイグル人(新疆ウイグル自治区)1/187=0.53%、漢民族0.06%(山西省1/56=1.79%)。
C1b1a2-B65
インドネシアのLebbos、ブルネイのMurats、フィリピンのアエタ族(ISOGG)。
C1b1a3-Z16582
C1b1b-B68
ブルネイのDusun族
C1b2-B477
確実に海を渡った最初のハプログループ。スンダランドとオーストラリア・ニューギニアは離れていたため、海を渡るのにC1bからC1b2へ変異するほどの期間があったと考えられます。オセアニアの論文は島の数で考えるとかなりあり、まだ入力していない地域・民族データがかなりあります。しばらくの間、ご了承下さい。
C1b2a-M38
C1b2a(xC1b2a1a)がオセアニア(インドネシア西部+オーストラリア+パプアニューギニア+ミクロネシア+ポリネシア+メラネシア)で17/209=8.13%、東南アジア(台湾+中国南部の漢民族とトゥチャ族・ヤオ族・チワン族・シェ族・ミャオ族・Yizu族+ベトナム+マレーシア+フィリピン+インドネシア西部)で15/683=2.2%(Hammer MF, Karafet TM2006)。
パプアニューギニアの高地3/50=6%、湖4/33=12.12%。西ニューギニア低地8/89=8.99%、ニューギニア4/23=17.39%、東南アジア13/272=4.78%(Hudjashov G,Underhill PA2007)。
インドネシア東部30/142=21.13%(Zhong H2010、他論文含む)
C1bが最も多いとされるイースター島のラパ・ヌイ。
C1b2a1-M208
パプアニューギニアの高地1/19=5.26%、ベレイナ2/35=5.71%、湖3/33=9.09%。西ニューギニア高地23/94=24.47%(Hudjashov G,Underhill PA2007)。
C1b2a1a-P33・・・オセアニア(インドネシア西部+オーストラリア+パプアニューギニア+ミクロネシア+ポリネシア+メラネシア)で36/209=17.22%(Hammer MF, Karafet TM2006)。
C1b2a1c-B460・・・パプアニューギニアのKoinambes(ISOGG)。
C1b2a1d-Z32295・・・インドネシアのBajos(ISOGG)。
C1b2a3-B76
インドネシアのBajos(ISOGG)。
C1b2b-M347
オーストラリアのアボリジニ(ISOGG)。
C1b2b1-M210
オーストラリア3/7=42.86%
Hudjashov G,Underhill PA(2007)
【C1a】
C1*集団からの移動・71,000~60,000年前
C1a*への変異・・・・・~34,430年前(遺骨)
サブクレード・・・・・・・・C1a1-M8、C1a2-V20
変異マーカー・・・・・・・・CTS11043
ここからヨーロッパがかなり出てきて、遺跡は国境沿いに多いので、まずは現代の国家での地図。
次に20,000年前のヨーロッパ。北極海の水が凍り、白い所や濃い緑色は陸地になりました。特に白い所はその上にアイスシートが被さっている状態です。
C1aと考えられうる現在のところ最古の遺骨は、ベルギーのマース川、ナミュールの近くのGoyetで見つかった35,160~34,430年前の狩猟採集民の遺骨GoyetQ116-1(mtDNAはM)。
画像はマース川、画像中央のくびれたところにある上流から数えて2つ目の赤い点がナミュール。
この遺跡では、他に28,230~27,720年前の女性の遺骨GoyetQ53-1(mtDNAはU2)、27,720~27,310年前の女性の遺骨GoyetQ376-19(mtDNAはU2)、26,600~26,040年前の女性の遺骨GoyetQ56-16(mtDNAはU2)、時は離れて15,230~14,780年前のHIJKの遺骨GoyetQ-2(mtDNAはU8a)が発見されている。
C1a2はアイルランドやブリテン島で多く発見されており、この遺跡は、イギリスにC1a2が入った拠点だと思う。
ベルギーは海に近いことから最終氷期や縄文海進の影響をもろに受けたと思う。
【C1a2】
C1a*集団からの移動・・・60,000~42,000年前
C1a1*への変異・・・・~29,410年前(遺骨)
変異マーカー・・・・・・・・・V20
人類の生存に最も必要な物は水です。ヨーロッパの先史を語るのにドナウ川は欠かせないので、これも地図。
何故ドナウ川なのかは後程、脱アフリカを説明する際に論じます。まずはC1a2の分布を説明した方が理解しやすいからです。
人類の移動に際しては、人類が遊牧や動物(馬やヤギ等)を日常生活に利用する時代、水を蓄えることが出来る土器が出てくる時代になるまでは、川ないし水分、塩、特産の食べ物を少し意識していただければありがたいです。人類の移動はその時々において、ちゃんとした理由があるはずなのです。某かの困難にぶつかってそれを克服し、またその解決法を真似し、維持することによって、人は現代まで文化的に進化していくのです。
C1a2以下とはっきりしている最古の遺骨は、31,110~29,410年前のチェコの南東部ブルノの南37kmの地点、パブロフという村の遺跡で見つかった遺骨Pavlov1(mtDNAはU5)。(Qiaomei Fu2016)
画像はチェコ。BRNOと書かれた所から川を南に下り、9の他の河川と合流する地点がパブロフ。更に下るとドナウ川に合流する。
他には、トルコのネヴシェヒル県(俗にカッパドキアと呼ばれる)のネブシェヒル市から西に10kmほど行ったBalcinという地域で発見された8,450~8,150年前の遺骨(mtDNAはK1a3a)。
この遺跡ではたくさんの遺骨が発見され、同じ8,450~8,150年前だと、G2a2a1b(mtDNAはK1a2)、G2a2a1b(mtDNAはT2b)、G2a2a1b1(mtDNAはK1b1b1)、G2a2b2a(mtDNAはW1-T119C)、G2a2b2a(mtDNAはJ1c11)、G2a2b2a1c(mtDNAはK1a又はK1a1)、H(mtDNAはT2b)、H2(mtDNAはU3)、H2(mtDNAはU8b1b1)、I2c(mtDNAはN1a1a1)、J2a(mtDNAはN1b1a)の男性全部で12体と、女性9体(mtDNAはN1a1a1aが2体、K1a-C150T、K1a又はK1a6、K1a4、J1又はJ1c、U3、X2d2、H5)が見つかっている。
スペイン、アストゥリアス州エル・フランコ、ラ・ブラーナの7,940~7,690年前の狩猟採集民の遺骨LaBrana1(mtDNAはU5b2c)。
予想画
(http://dienekes.blogspot.ru/2014/01/brown-skinned-blue-eyed-y-haplogroup-c.html)
ハンガリーのヘヴェシュ県Kompoltで発見された7,245~7,066年前の遺骨Kigyoser(mtDNAはJ1c1)。
画像はハンガリーで、ヘヴェシュ県は濃い緑。
この遺跡では4,144~4,032年前の女性の遺骨(mtDNAはK1c1)が発見されている。
同じくハンガリーのヘヴェシュ県Apcで発見された7,156~6,952年前の遺骨BerekalyaⅠ(mtDNAはK1a3a3)。この遺跡では、6,441~6,366年前のI2a1(mtDNAはN1a1a1a)、4,853~4,756年前の女性(mtDNAはH)が見つかっている。分析は後程にしよう。http://biorxiv.org/content/biorxiv/early/2015/02/10/013433.full.pdf
C1a2のサブクレードは以下の通り(ISOGG)。
C1a2-V20
・C1a2a-V182
・・C1a2a1-V222
・・・C1a2a1a-Z31808
・・・C1a2a1b-Y12157/Z30466
・・C1a2a2-Y11325/Z29329
・C1a2b-Z38888
C1a2-V20
1719~1730年頃、アイルランドを南北に流れるシャノン川下流のリメリックで亡くなったアイルランド人1人。
C1a2*かもしれないのは、生存しているメキシコ1人、1766~1826年に生きていたアイルランド人1人(以上FamilyTreeProject)。
ネパール人(SNPは確認出来ない。但しC1a以下で日本人のC1a1とかなり初期に分岐する。後程)。
アルジェリアのベルベル人(ISOGGがそう言っているので、一応このサブクレードに入れておきます。ただアルジェリアの地中海沿いのオランでCが1人検出されている。)
C1a2a-V182
C1a2a1とC1a2a2の分岐点と目されるのが、1800年代からそれ以前にカルパティア山脈のポーランド-ウクライナ国境で生息していた2人だ。
まずはC1a2a2のポーランド1人(ポトカルパチェ県レジャイスク郡のStare Miastoの生まれ。)だ。
これはポーランドの地図で、ポトカルパチェは赤いところ。
レジャイスクはその北部のlezajskというところ。レジャイスク中心部にStare Miastoはあります。
それからC1a2a1のウクライナ1人(リヴィウ州Turka郡komarnyky生まれ)。これはウクライナの地図で、リヴィウ州は赤いところ。リヴィウ州と面したグレーがポーランドです。ちなみに南のグレーがハンガリー。
これは上の赤いところの拡大図で、Turka郡は赤いところ。Komarnykyはwikipediaの英語版に地図がありますが、左のグレーゾーン(ポーランド)とオレンジゾーンがぶつかるところと思ってください。すぐ西はポーランドです。ティサ川は、ここを通って、ハンガリーに下り、ハンガリーの山岳地帯から流れるいくつもの細い川と合流して、最後ドナウ川へと合流します。
C1a2a1-V222
イギリス5~6人
スコットランド2~3人(NC生Henry Co. IN没(ノースカロライナ生まれインディアナ州ヘンリー地域没のスコットランド系アメリカ人か?)の方、1821生1890没の方1~2人)、北アイルランド2人(1804年生1881年没の方、1690年頃の北アイルランド南東部のダウン州の方)、イングランド1人(1691年生まれ。ロンドンに近いエセックスのグレート・サンフォード没)。
地中海2人
イタリア1人(1840年頃イタリア半島南端メゾラーカ生。ベルベル人との関係か)、ギリシャ1人。
ドナウ川沿岸国1人
ハンガリー1人(1838年生1905年没。場所は不明)。
C1a2a2-Y11325
スペイン1人(1800年より前バレンシア州カステリョン県ソネハ生)。
C1a2b-Z38888
1人いる。以上FamilyTreeProject。
【C1a1】
C1a*集団からの移動・・60,000~42,000年前
C1a1*への変異・・・・58,500~11,650年前
変異マーカー・・・・・・・・・M8
C1a1のサブクレード
C1a1-M8
・C1a1a-P121
・・C1a1a1-CTS6678
・・C1a1a2-Z1356
・・・C1a1a2b-Z40544
C1a1は、台湾1/183=0.55%(Tsai2001)、韓国1/316=0.32%(Shin2001)にも見られるがそれらの調査の1%にも程遠く、日本固有と認められている。沖縄には見られるが、アイヌには今のところ見られない。変異の発生は日本固有の遺伝子の中で、いや脱アフリカした遺伝子の中でも最も古く(DやFへの変異より早い可能性がある)、D1bと同じく旧石器時代に日本に人類が初めて到達した種と考えられている。
日本人・・・160/3676=4.35%
(以下のもの及びNonaka2007の日本6/263=2.28%、Sengupta S2006の日本1/23=4.35%を含む。Zhong H2010の19/329は他論文含んだ数字のため含まない。)
北海道・・・20/708=2.82%
Sasaki & Dehiya2000の旭川市0/200=0%、Sato2014の札幌市20/508=3.94%(大学生13/302=4.3%、成人7/206=3.4%)。
アイヌ・・・0/20=0%
Hammer2006のアイヌ0/4=0%、Tajima2004の北海道日高アイヌ0/16=0%。
本州・・・73/1468=4.97%
Tajima2004の本州4/82=4.88%、Hammer2006の青森県2/26=7.69%・静岡県3/61=4.92%、Sato2014の川崎市大学生18/321=5.61%・金沢市大学生10/298=3.36%・金沢市成人11/232=4.74%・大阪市成人15/241=6.22%、Uchihi2003の名古屋市10/207=4.83%。
四国・・・29/458=6.33%
Hammer2006の徳島県7/70=10%、Sato2014の徳島市大学生22/388=5.67%。
九州・・・20/559=3.58%
Hammer2006の九州0/53=0%、Tajima2004の九州4/104=3.85%、Sato2014の長崎市大学生10/300=3.33%・福岡市成人6/102=5.88%。
沖縄・・・11/177=6.21%
Tajima2004の2/45=4.44%、Hammer2006の2/45=4.44%、Uchihi2003の7/87=8.05%。
色々説明したいし、持説も論じたいが、後回しにする。
Y-DNAの系統図と説明
人類のY-DNAの系統図
ハプログループはまだ調査研究段階であり、頻繁に変わります。
なお、新たにSNPが出来ると、そのSNPがあるか否かで2分します。つまり、Y染色体ハプログループは、絶滅・未発見・分類不能な場合を除き、2分岐します。ハプログループは、大文字のあとは、数字(1又は2)と小文字(a又はb)を交互に繰り返すことで系統を分かりやすくしています。3、4、c、d等2分岐を越えているところは分類が完了していない状況です。以下系統図を書きますが、いつでもどこでも分類が変わるおそれがあります。遺骨や分類が整理されて新たな人類が見つかる可能性があります。
なお、単にD1bと言った場合はD1bの変異を持つ全てを指し、D1b*と表記された場合は本来サブグループを含まないD1bを指しますが、多型と言えるか判断出来ず残しているものや、調査不足等で既存の集団に分類出来ないようなものや追跡調査が出来ないようなものまで含みます。また、D1(xD1a)と表記された場合、D1aを除いたD1、つまりD1*とD1bを意味します。
年代は正確とはとても言い難く、学説もバラバラですが、強引に推測も交えながらイメージ・参考迄につけました。間違いはご容赦下さい。遺伝子情報から分岐の順番が解っても、遺伝子学だけで年代を推定するのはかなり困難だと思われます。
人類の変異は基本的には、受精する際に起こります。Y染色体の場合、体毛や体格等が表現型となって発現し、それが原因で移動することはないとは言い切れません。
ただ、人類の移動で圧倒的に多いのは、人類の社会的な移動(天災、いさかい、遊牧、焼畑、環境変化、他にも例えば川に水を汲みに行くには遠すぎて川があって良い実のなる木があって獣も狩れる所を探しに移動しよう等々)です。
あくまで変異の順番がわかって変異の時期がある程度わかるというのと、移動の始まる時期は分けて考えるべきなので、以後次の章からは、移動の時期と変異の時期を分けます。以下は目安位に思ってください。
Y染色体アダム(588000年前発生。2つに分岐)
ーA00
ーA0-T(27万年前発生。以下2つに分岐)
ーーA0
ーーA1(以下2つに分岐)
ーーーA1a
ーーーA1b(8.5~7万年前に以下2つに分岐)
ーーーーA1b1
ーーーーA1b2(BT。825~625百年前分岐)
ーーーーーB
ーーーーーCT(8~7万年前に以下2つに分岐)
ーーーーーーDE
ーーーーーーCF(77~45千年前に以下2つに分岐)
ーーーーーーーC
ーーーーーーーF(60~45千年前に以下分岐)
ーーーーーーーーF1
ーーーーーーーーF2
ーーーーーーーーF3
ーーーーーーーーGHIJK(以下2つに分岐)
ーーーーーーーーーG
ーーーーーーーーーHIJK(6万~42560年前に分岐)
ーーーーーーーーーーH
ーーーーーーーーーーIJK(55千~42560年前に分岐)
ーーーーーーーーーーーIJ
ーーーーーーーーーーーK(55千~24090年前に分岐)
ーーーーーーーーーーーーK1(LT)
ーーーーーーーーーーーーK2(5万~24090年前分岐)
ーーーーーーーーーーーーーK2c
ーーーーーーーーーーーーーK2d
ーーーーーーーーーーーーーK2e
ーーーーーーーーーーーーーK2a(NO)
ーーーーーーーーーーーーーK2b(4万~24090年前分岐)
ーーーーーーーーーーーーーーK2b1(SM)
ーーーーーーーーーーーーーーK2b2(P。2つに分岐)
ーーーーーーーーーーーーーーーK2b2b
ーーーーーーーーーーーーーーーK2b2a(2つに分岐)
ーーーーーーーーーーーーーーーーK2b2a1(Q)
ーーーーーーーーーーーーーーーーK2b2a2(R)
各ハプログループの分布など
Y染色体アダム・・・祖先を辿っていけばいずれたどり着くであろう仮定の人類。1人とは限らない。
A00・・・アメリカ在住のアフリカ系男性1人、アフリカ中央西側のカメルーン西部のMbo族11人。サブグループでBangwa族(27/67)等。
A0-T・・・SNPの痕跡は確かにあるものの、サブグループかもしれず、はっきりしていない。A0ないしA1とはっきりしているのはカメルーン南部のピグミー、Bakola族で8.3%。アルジェリアのベルベル人で1.5%。ガーナにもいる。
A0・・・未確認。
A1・・・未確認。A1*なのかは分からないがモロッコのベルベル人、イングランドのヨーロッパ人。
A1a・・・アフリカ西端セネガルとガンビアのマンディンカ族で5%(2/39)、同じく西端のギニアビサウで3.94%(22/558)、特にMancanha族に多い。アフリカ北西端のモロッコのベルベル人で3%(2/64)。アフリカ西部のマリで2.02%(2/99)、うちドゴン族1人。アフリカ西端の島カーボベルデで0.5%(1/201)。あとA1aのサブグレードがイングランドのヨークシャーで7人、フィンランド西部キロで3人。
A全て
A1b1・・・Aの最大多数。アフリカ南部西側のナミビア周辺、アフリカ中央部やや東側のスーダン周辺の2極に集中し、アフリカ中央部南部に広がる。
BT・・・未発見。
B・・・アフリカ中央部に多く生息。
CT・・・ユーラシアアダムと呼ばれる脱アフリカした最初の人種とされる。未発見。
DE・・・Y染色体のDNA配列の他の人類では見られない場所に、定形式の300塩基(Alu配列)が挿入された人類集団。通常、塩基の挿入は、3文字で1単語のアミノ酸を構成する関係で文章が変わり、俗に言うミュータント(原発事故後に発見される見た目が通常と異なる進化した生物)が生まれやすい。ただAlu配列は、DNAの中に10%ほど占め、単語の途中で挿入したりはせず、アミノ酸も構成しないことは明らかになっている。この珍しい変異の痕跡(SNPs)、あるいはSNPsを持つ人をYAP(+)と言い、他の人類をYAP(-)として区別することもある。YAPはY-chromosome Alu Polymorphismの略です。
このDE*はDとEの祖にあたり、72,500~50,000年前にはYAPを受け継ぎDとEに分岐する。
E・・・アフリカ最大のハプログループ。西アフリカと、A・Bを除いたアフリカ中央部と南部に多い。
D・・・日本人、チベット人のルーツ。
CF・・・未発見。
C・・・この後生まれるC1は、オーストラリア大陸最大のハプログループ。同じくこの後生まれるC2は、ロシア、アラスカ最大のハプログループ。
C*はアボリジニ、インド、スリランカ、東南アジア、スペインで観測。人骨でロシア。
77000~43000年前に生まれたCは、72500~43000年前、C1とC2に分岐する。C1は遅くとも36,260年前にはC1aとC1bに分岐していたことが人骨の放射線測定から明らかになっている。C1aは遅くとも29,410年前にはC1a2に分岐していたことが人骨の放射線測定から明らかになっている。
C1a1は日本では5%弱観測されている。C1a2は西ヨーロッパで40人弱かなり点在して観測されている。C1bはフィリピン以南、インドネシア以東の島々に数多く観測されている。C2も日本でいくつかの種類が観測され、ロシア、旧ソ連の東欧、モンゴル等で多く、北中米まで観測されている。
F・・・スリランカ10%、インド5.2%(南部で10%、中央部で8%、北部と西部で1%)、パキスタン5%、ネパールのタマング人から4%以上、インドネシアのスラウェジとレムバタで4~5%、イランのバンダリから2.3%、インドネシアのボルネオ島とジャワ島で2%、ナイル川中流スーダンのナパタとメロエでそれぞれ1人。
F以下全て
F1・・・スリランカ。
F2・・・中国、タイ、ビルマ、ベトナムの国境沿いの少数民族、イ族、ラフ族の黄族、Kucong族で観測。
F3・・・ネパール、インドの少数民族タルー人とインド南東部で観測。
GHIJK・・・未発見。6万~42560年前にGとHIJKに分岐する。
G・・・黒海東岸のカザフスタンを中心にロシア、ヨーロッパ、中東、北アフリカまで薄く広く分布。
HIJK・・・未発見。
H・・・インド・スリランカ人。
インド南部を中心に南アジア全域。
IJK・・・未発見。
IJ・・・イランで2人か?IJはIとJに分岐。
I・・・主にヨーロッパ。日本の静岡か沖縄で1/259=0.39%、北東アジアでも6/441=1.36%一応観測されている(Hammer MF, Karafet TM2006)。静岡か?
J・・・中東最大のハプログループ。
主に中東、ナイル川流域。周辺にも広がっている。
K・・・東南アジア。全人類の半数以上がこのKの子孫。何故か北欧でごく少数発見されている他、まだK*とははっきりしないのがモザンビークにいる。
LT・・・未発見。LとTに分岐。
L・・・インダス側流域。パキスタン人の祖。
中東からヨーロッパまで薄く広がる。
K2・・・オーストラリアアボリジニに1人、ロシアシベリアの人骨からも観測。これ以降の分岐ははっきりしていない。
NO・・・はっきりしていない。K2以下の分岐で確定していないのは、4人の日本人のほか、アジア各地にいる。今のところ、このNOはNO1とNO2に分岐し、NO1がNとOに分岐したと考えられる。
N・・・シベリア・北欧最大のハプログループ。
東はロシアから西はスカンジナビア半島まで北極海沿いに集中し、南は中国から東南アジアの国境沿いにまで広がっている。日本では青森で観測。
O・・・ 東アジア・東南アジア最大のハプログループ。
日本人の半数を占める。アジア人。何故かアフリカ東部のマダガスカル島にかなりいるのが不思議だが。
K2b・・・未発見。
SM・・・はっきりしていない。
S・M・・・パプア人か。何れも東インドネシアでもみられる。
M
S
P・・・ティモール、フィリピン、アイヌのすぐ北の民族ニブフ、ロシアから中央アジアで観測。今のところ日本人では2人観測されているらしい。
K2b2a・・・ロシア極東や南西部を中心に、ユーラシア大陸の西はイランや旧ソ連の国々まで各地に広がる。北米でも観測されている。317百~24090年前QとRに分岐。
Qでの配置不明だが、日本の静岡か沖縄で1/259=0.39%一応観測されている(Hammer MF, Karafet TM2006)。静岡か?
R・・・ヨーロッパ最大のハプログループ。
日本の静岡か沖縄で1/259=0.39%一応観測されている(Hammer MF, Karafet TM2006)。沖縄か?
K2b2b・・・フィリピンのアエタ族でのみ観測。
K2c・・・インドネシアのバリ島でのみ観測。
K2d・・・インドネシアのジャワ島でのみ観測。
K2e・・・インド人1人、パキスタン人1人で観測。
日本人に関連するハプログループについては後ほど詳細に触れていきます。
また、適宜補足・修正していきます。ご容赦ください。
最初に
まずは、前提となる知識について書こうと思う。この位知ってるわという人は飛ばしていただけたらと。やたらと専門用語が出てくるので触れないと一部の人しか理解出来なくなる。
Y染色体について
細胞の中には、球状の核があって、その核の中に、DNAというものを備え付けた染色体という糸のようなものがあります。
人間の染色体の場合、父から22本、母から22本を受け継いで同じ部位で対にした22対44本の常染色体と、1対2本の性染色体が原則あります。
男性の性染色体は、原則、父親から受け継いだY染色体と母親から受け継いだX染色体という2本になります。
女性の性染色体は、原則、父親から受け継いだX染色体と母親から受け継いだX染色体という2本になります。
Y染色体は、変異はしますが、代々延々と父親から息子へと受け継がれるDNAを備え付けたものと理解して下さい。
DNAについて
螺旋状のはしごのようなものがDNAです。ヒトの全ての染色体は、たんぱく質ヒストンにこのDNAが絡まって構成されています。DNAはY染色体の他にもあるため、Y染色体のDNAのことをY-DNAと呼びます。
はしごを真っ二つに切った足場部分が、遺伝情報の文字とも言え、塩基と言います。塩基はヒトのY染色体のDNAの場合、A、G、T、Cの4種類あり、CはGと、AはTと必ず結び付きます。DNAの文字の有効な配列を遺伝子と呼びます。細胞はたんぱく質を合成したり、自ら分裂したりします。たんぱく質を作る際はDNAの文字を転写して3文字で1単語となり、アミノ酸を合成させてたんぱく質を作ったりします。
DNAという微生物時代からの長い遺伝子レベルでの歴史書で、人間を形作り維持させるのに一役かっていると思って頂けたらいいかと。
ハプログループとは
塩基は変異により違う文字になったり、文字が挿入されたりすることがあります。そうした変異が調査した人間集団の中で1%以上ある場合、その変異の痕跡を一塩基多型(SNP)と言います。
知られているSNPの種類・数等をもとに検査するDNAを仕分けしたもの、同じSNPを持つDNAの集団をハプログループと言います。
ハプログループは、初めてそのSNPを持って生まれた男子を共通祖先とする子孫の集団とも言えます。
例えば、D1bは、そのDNAの中にたくさん保管してあるSNPの中で、A0-TのSNPであるL1085、A1のSNPであるP305、A1bのSNPであるP108、BTのSNPであるV31、CTのSNPであるM168、DEのSNPであるYAP、DのSNPであるM174、D1のSNPであるCTS11577、D1bのSNPであるM64を併せ持ったハプログループです。
C1a1は、A0-TのSNPであるL1085、A1のSNPであるP305、A1bのSNPであるP108、BTのSNPであるV31、CTのSNPであるM168、CFのSNPであるP143、CのSNPであるM130、C1のSNPであるF3393、C1aのSNPであるCTS11043、C1a1のSNPであるM8を併せ持ったハプログループです。
つまり2つは遺伝子上、A0-T、A1、A1b、BT、CTという男系の共通祖先をもつということになります。
注意事項
①Y染色体ハプログループはA~Tまでの大文字(ハプロタイプ)で大きく分類されます。その後は数字とアルファベットの小文字を交互に繰返して分類されます。例えばD1bはDの子孫筋(ハプログループ)であり、Dから見てD1やD1b等のことをサブクレードと呼びます。
②例えば(Y染色体ハプログループ)Dと言った場合、これはD1b、D1aやD2を含んだ大集団を意味します。
③例えばD-M55と言った場合の『M55』はそのハプログループ、この場合はDだけにある変異の痕跡(SNP)の名称です。
③例えばDE*-YAP(xD1a1-M15)と言った場合、YAPの変異のあるものからM15の変異のあるものを除いた余りを意味します。
なお、D*-M55(xD1a1-M15)と言った場合、これはD1bを含んでいますが、D1bの数を特定出来ないため、この検査結果はD1bではなくDの欄で増やしています。したがって、日本人D1bの正確な割合は、D1bの欄の日本人での割合から、DEの欄の日本人での割合の間になります。
④このサイトでD*と言った場合、M55の変異を起こした直後のD、つまりD*(xD1,D2)と思って下さい。D以外のハプログループも同様で、例外はFの1つサブクレードのハプログループF*だけです。
⑤第1章ではハプログループがどこに分布しているかを分析します。
例えばD-M55のところで日本人3/9と仮に書かれていた場合、日本人9人をY-DNA検査をした結果3人にM55が観測されたとなります。
⑥第1章の注釈は基本的に、論文か、0%の民族・国・地域を表示します。注釈は必要ない人が大半かと思いますが、更なる追加統計の為に不可欠なため置きます。また、とある民族にDがいるのか調べたい場合、載っていればこのサイトの現段階ではその民族で検査をしていることになりますし、逆の場合はこのサイトが確認していないか、検査が行われていないことになります。
⑦民族・国・地域は出来る限りwikipediaに沿った日本語名にしています。wikipediaの日本語版に載っていない民族・国・地域は、無理に日本語に当て嵌めず、出来る限りwikipediaの英語版に沿ったアルファベットで表記しています。
⑧論文は複数いる論文作成者の先頭に書かれている方の姓に西暦4桁で表します。現在のところ、論文はインターネット・PDFで誰でも無料で閲覧することが出来るものに限らせていただきます。
⑨Y-DNAハプログループを分類した論文はこのサイトで引用したものが全てではなく、数えきれないほどあります。論文によって割合は異なるため、本来の割合はこのサイト記載の割合を前後する可能性が十分あり得ます。ご了承ください。