Y染色体ハプログループC1a1
ここではC1の分岐、C1a、C1b、C1a1、C1a2をとり上げようと思う。字数の関係とC2のサブクレードがはっきりしないこともあり、CF、C、F、C1、C2は後程。
なお、このページも、先のD1bと同様、全ての論文を入れた統計にはなっていません。なので、徐々に追加していきます。ご了承ください。
当分は前の「Y染色体ハプログループD1b」の追加修正に取り掛かります。ハプログループ分類の基礎データこそが物を言うからです。
【C1b】
C1*集団からの移動・71,000~60,000年前
C1b*への変異・・・・・~36,260年前(遺骨)
変異マーカー・・・・・・・・F1370
C1b*かそのサブクレードと考えられる現在最古の遺骨は、38,680~36,260年前ロシアのドン川右岸コステンキで見つかった遺骨Kostenki14*(mtDNAはU2)。
コステンキのおよその位置。
骨格をもとに作成されたコステンキC1b
ドン川の位置。左下方の細い川がドン川です。太い川がヴォルガ川。ヴォルガ川については後程。
この遺跡では、32,990~31,840年前のCTかそのサブクレード(mtDNAはU2)の遺骨Kostenki12が見つかっている。
ここからC1bのサブクレードに入りますが、その前提として、75,000~70,000年前、インドネシアのスマトラ島、トバで過去10万年で類を見ないほどの破局噴火が発生しました。
そして70,000年前人類を含めた生物が激減しました。この2つの現象を関連づける学説(トバ・カタストロフ理論)というのもあります。ボトルネック効果や創始者効果という理論もありますが、そのうちやるかと思います。
C1b1-K281
C1b1を語るのに忘れてはならないのがこれ。
およそ71,000~60,000年前、世界は突然最終氷期の20,000年前と同じ位の寒い時期がかなりの長期間続きました(この氷期の時期、寒さの程度は多少異なる)。その際、北極海の海がどんどん氷結し、海水面の高さがかなり低くなっていました(なお、日本とは違って赤道直下で海水が温められ暖流が作られているため、この地域の水温は高い。北極海とのこの地域の水温差が北半球の太平洋の海流、しいては高気圧・低気圧を作っている。これも後程)。
当時は現在より約130m弱海面が低く、緑色の地域が陸地になっていたと推定され、インドシナ半島はブルネオ島やスマトラ島、ジャワ島等と繋がっていました。大きくなったインドシナ半島を通称スンダランドと呼びます。
一方でニューギニア島、オーストラリアとは完全に離れていたと、今のところ考えられています。フィリピンやスラウェシ島は微妙なところですが、離れていたと考える方が多いと思います。但し、学会の発表もありますが、海水面の高さについて確定するには至っていないと私は思っています。大西洋はともかく、日本海・地中海・赤道沿岸等、全ての海域が一律の低さとは考えづらい。北極海だけでは説得力に乏しく、地域・海峡等の地形によってばらつきが必ずあったと考えています。具体的に、海底の地質調査や、湖や低地がまず湾になり、次に内海になっていくという段階を経て、海底地形等がどの位の数値で変わっていくか等の細かなシュミレーション実験が必要です。東日本大震災の想像を遥かに超えた津波のメカニズムと同様、海は色々なことが起こり得るものなのです。
本題に戻り、統計からは、C1bはスンダランドにやってきた最初の人類と考えられ、そこからC1b2の大多数がスンダランドから海を渡ったと考えられます。
C1b1a-B66
C1b1a1-M356
ネパール6/246=2.44%
タライ平原中央部チトワン郡の2つの村のタルー族1/77=1.3%、ネパールのチトワン郡のヒンドゥー人2/26=7.69%(Simona Fornarino2009)、ネワール族2/66=3.03%、カトマンズ1/77=1.3%(Gayden,Underhill2007)。
インド14/728=1.92%(Sengupta S2006)。
インド各地の諸民族のうち、南部のIrula1/30=3.33%・Iyer2/29=6.9%・Vanniyar4/25=16%、西部のMaratha1/20=5%・NavBuddha1/14=7.14%、北部のChamar1/18=5.56%・Rajput1/29=3.45%、東部のLodha1/20=5%・Mahishya1/13=7.69%、東北部のChakma1/4=25%。
サウジアラビア2/157=1.27%(Abu-Amero, Underhill2009)。
UAE2/164又は4/328=1.22%(Cadenas, Underhill2008、Abu-Amero, Underhill2009)。
パキスタン2/201=1%
Abu-Amero, Underhill2009とSimona Fornarino2009の南部ドラビアのBrahui1/25=4%を含む。
トルコのアナトリア2/523=0.38%(Abu-Amero, Underhill2009)。
中国のシベ族(新疆ウイグル自治区)6/61=9.84%、ウイグル人(新疆ウイグル自治区)1/187=0.53%、漢民族0.06%(山西省1/56=1.79%)。
C1b1a2-B65
インドネシアのLebbos、ブルネイのMurats、フィリピンのアエタ族(ISOGG)。
C1b1a3-Z16582
C1b1b-B68
ブルネイのDusun族
C1b2-B477
確実に海を渡った最初のハプログループ。スンダランドとオーストラリア・ニューギニアは離れていたため、海を渡るのにC1bからC1b2へ変異するほどの期間があったと考えられます。オセアニアの論文は島の数で考えるとかなりあり、まだ入力していない地域・民族データがかなりあります。しばらくの間、ご了承下さい。
C1b2a-M38
C1b2a(xC1b2a1a)がオセアニア(インドネシア西部+オーストラリア+パプアニューギニア+ミクロネシア+ポリネシア+メラネシア)で17/209=8.13%、東南アジア(台湾+中国南部の漢民族とトゥチャ族・ヤオ族・チワン族・シェ族・ミャオ族・Yizu族+ベトナム+マレーシア+フィリピン+インドネシア西部)で15/683=2.2%(Hammer MF, Karafet TM2006)。
パプアニューギニアの高地3/50=6%、湖4/33=12.12%。西ニューギニア低地8/89=8.99%、ニューギニア4/23=17.39%、東南アジア13/272=4.78%(Hudjashov G,Underhill PA2007)。
インドネシア東部30/142=21.13%(Zhong H2010、他論文含む)
C1bが最も多いとされるイースター島のラパ・ヌイ。
C1b2a1-M208
パプアニューギニアの高地1/19=5.26%、ベレイナ2/35=5.71%、湖3/33=9.09%。西ニューギニア高地23/94=24.47%(Hudjashov G,Underhill PA2007)。
C1b2a1a-P33・・・オセアニア(インドネシア西部+オーストラリア+パプアニューギニア+ミクロネシア+ポリネシア+メラネシア)で36/209=17.22%(Hammer MF, Karafet TM2006)。
C1b2a1c-B460・・・パプアニューギニアのKoinambes(ISOGG)。
C1b2a1d-Z32295・・・インドネシアのBajos(ISOGG)。
C1b2a3-B76
インドネシアのBajos(ISOGG)。
C1b2b-M347
オーストラリアのアボリジニ(ISOGG)。
C1b2b1-M210
オーストラリア3/7=42.86%
Hudjashov G,Underhill PA(2007)
【C1a】
C1*集団からの移動・71,000~60,000年前
C1a*への変異・・・・・~34,430年前(遺骨)
サブクレード・・・・・・・・C1a1-M8、C1a2-V20
変異マーカー・・・・・・・・CTS11043
ここからヨーロッパがかなり出てきて、遺跡は国境沿いに多いので、まずは現代の国家での地図。
次に20,000年前のヨーロッパ。北極海の水が凍り、白い所や濃い緑色は陸地になりました。特に白い所はその上にアイスシートが被さっている状態です。
C1aと考えられうる現在のところ最古の遺骨は、ベルギーのマース川、ナミュールの近くのGoyetで見つかった35,160~34,430年前の狩猟採集民の遺骨GoyetQ116-1(mtDNAはM)。
画像はマース川、画像中央のくびれたところにある上流から数えて2つ目の赤い点がナミュール。
この遺跡では、他に28,230~27,720年前の女性の遺骨GoyetQ53-1(mtDNAはU2)、27,720~27,310年前の女性の遺骨GoyetQ376-19(mtDNAはU2)、26,600~26,040年前の女性の遺骨GoyetQ56-16(mtDNAはU2)、時は離れて15,230~14,780年前のHIJKの遺骨GoyetQ-2(mtDNAはU8a)が発見されている。
C1a2はアイルランドやブリテン島で多く発見されており、この遺跡は、イギリスにC1a2が入った拠点だと思う。
ベルギーは海に近いことから最終氷期や縄文海進の影響をもろに受けたと思う。
【C1a2】
C1a*集団からの移動・・・60,000~42,000年前
C1a1*への変異・・・・~29,410年前(遺骨)
変異マーカー・・・・・・・・・V20
人類の生存に最も必要な物は水です。ヨーロッパの先史を語るのにドナウ川は欠かせないので、これも地図。
何故ドナウ川なのかは後程、脱アフリカを説明する際に論じます。まずはC1a2の分布を説明した方が理解しやすいからです。
人類の移動に際しては、人類が遊牧や動物(馬やヤギ等)を日常生活に利用する時代、水を蓄えることが出来る土器が出てくる時代になるまでは、川ないし水分、塩、特産の食べ物を少し意識していただければありがたいです。人類の移動はその時々において、ちゃんとした理由があるはずなのです。某かの困難にぶつかってそれを克服し、またその解決法を真似し、維持することによって、人は現代まで文化的に進化していくのです。
C1a2以下とはっきりしている最古の遺骨は、31,110~29,410年前のチェコの南東部ブルノの南37kmの地点、パブロフという村の遺跡で見つかった遺骨Pavlov1(mtDNAはU5)。(Qiaomei Fu2016)
画像はチェコ。BRNOと書かれた所から川を南に下り、9の他の河川と合流する地点がパブロフ。更に下るとドナウ川に合流する。
他には、トルコのネヴシェヒル県(俗にカッパドキアと呼ばれる)のネブシェヒル市から西に10kmほど行ったBalcinという地域で発見された8,450~8,150年前の遺骨(mtDNAはK1a3a)。
この遺跡ではたくさんの遺骨が発見され、同じ8,450~8,150年前だと、G2a2a1b(mtDNAはK1a2)、G2a2a1b(mtDNAはT2b)、G2a2a1b1(mtDNAはK1b1b1)、G2a2b2a(mtDNAはW1-T119C)、G2a2b2a(mtDNAはJ1c11)、G2a2b2a1c(mtDNAはK1a又はK1a1)、H(mtDNAはT2b)、H2(mtDNAはU3)、H2(mtDNAはU8b1b1)、I2c(mtDNAはN1a1a1)、J2a(mtDNAはN1b1a)の男性全部で12体と、女性9体(mtDNAはN1a1a1aが2体、K1a-C150T、K1a又はK1a6、K1a4、J1又はJ1c、U3、X2d2、H5)が見つかっている。
スペイン、アストゥリアス州エル・フランコ、ラ・ブラーナの7,940~7,690年前の狩猟採集民の遺骨LaBrana1(mtDNAはU5b2c)。
予想画
(http://dienekes.blogspot.ru/2014/01/brown-skinned-blue-eyed-y-haplogroup-c.html)
ハンガリーのヘヴェシュ県Kompoltで発見された7,245~7,066年前の遺骨Kigyoser(mtDNAはJ1c1)。
画像はハンガリーで、ヘヴェシュ県は濃い緑。
この遺跡では4,144~4,032年前の女性の遺骨(mtDNAはK1c1)が発見されている。
同じくハンガリーのヘヴェシュ県Apcで発見された7,156~6,952年前の遺骨BerekalyaⅠ(mtDNAはK1a3a3)。この遺跡では、6,441~6,366年前のI2a1(mtDNAはN1a1a1a)、4,853~4,756年前の女性(mtDNAはH)が見つかっている。分析は後程にしよう。http://biorxiv.org/content/biorxiv/early/2015/02/10/013433.full.pdf
C1a2のサブクレードは以下の通り(ISOGG)。
C1a2-V20
・C1a2a-V182
・・C1a2a1-V222
・・・C1a2a1a-Z31808
・・・C1a2a1b-Y12157/Z30466
・・C1a2a2-Y11325/Z29329
・C1a2b-Z38888
C1a2-V20
1719~1730年頃、アイルランドを南北に流れるシャノン川下流のリメリックで亡くなったアイルランド人1人。
C1a2*かもしれないのは、生存しているメキシコ1人、1766~1826年に生きていたアイルランド人1人(以上FamilyTreeProject)。
ネパール人(SNPは確認出来ない。但しC1a以下で日本人のC1a1とかなり初期に分岐する。後程)。
アルジェリアのベルベル人(ISOGGがそう言っているので、一応このサブクレードに入れておきます。ただアルジェリアの地中海沿いのオランでCが1人検出されている。)
C1a2a-V182
C1a2a1とC1a2a2の分岐点と目されるのが、1800年代からそれ以前にカルパティア山脈のポーランド-ウクライナ国境で生息していた2人だ。
まずはC1a2a2のポーランド1人(ポトカルパチェ県レジャイスク郡のStare Miastoの生まれ。)だ。
これはポーランドの地図で、ポトカルパチェは赤いところ。
レジャイスクはその北部のlezajskというところ。レジャイスク中心部にStare Miastoはあります。
それからC1a2a1のウクライナ1人(リヴィウ州Turka郡komarnyky生まれ)。これはウクライナの地図で、リヴィウ州は赤いところ。リヴィウ州と面したグレーがポーランドです。ちなみに南のグレーがハンガリー。
これは上の赤いところの拡大図で、Turka郡は赤いところ。Komarnykyはwikipediaの英語版に地図がありますが、左のグレーゾーン(ポーランド)とオレンジゾーンがぶつかるところと思ってください。すぐ西はポーランドです。ティサ川は、ここを通って、ハンガリーに下り、ハンガリーの山岳地帯から流れるいくつもの細い川と合流して、最後ドナウ川へと合流します。
C1a2a1-V222
イギリス5~6人
スコットランド2~3人(NC生Henry Co. IN没(ノースカロライナ生まれインディアナ州ヘンリー地域没のスコットランド系アメリカ人か?)の方、1821生1890没の方1~2人)、北アイルランド2人(1804年生1881年没の方、1690年頃の北アイルランド南東部のダウン州の方)、イングランド1人(1691年生まれ。ロンドンに近いエセックスのグレート・サンフォード没)。
地中海2人
イタリア1人(1840年頃イタリア半島南端メゾラーカ生。ベルベル人との関係か)、ギリシャ1人。
ドナウ川沿岸国1人
ハンガリー1人(1838年生1905年没。場所は不明)。
C1a2a2-Y11325
スペイン1人(1800年より前バレンシア州カステリョン県ソネハ生)。
C1a2b-Z38888
1人いる。以上FamilyTreeProject。
【C1a1】
C1a*集団からの移動・・60,000~42,000年前
C1a1*への変異・・・・58,500~11,650年前
変異マーカー・・・・・・・・・M8
C1a1のサブクレード
C1a1-M8
・C1a1a-P121
・・C1a1a1-CTS6678
・・C1a1a2-Z1356
・・・C1a1a2b-Z40544
C1a1は、台湾1/183=0.55%(Tsai2001)、韓国1/316=0.32%(Shin2001)にも見られるがそれらの調査の1%にも程遠く、日本固有と認められている。沖縄には見られるが、アイヌには今のところ見られない。変異の発生は日本固有の遺伝子の中で、いや脱アフリカした遺伝子の中でも最も古く(DやFへの変異より早い可能性がある)、D1bと同じく旧石器時代に日本に人類が初めて到達した種と考えられている。
日本人・・・160/3676=4.35%
(以下のもの及びNonaka2007の日本6/263=2.28%、Sengupta S2006の日本1/23=4.35%を含む。Zhong H2010の19/329は他論文含んだ数字のため含まない。)
北海道・・・20/708=2.82%
Sasaki & Dehiya2000の旭川市0/200=0%、Sato2014の札幌市20/508=3.94%(大学生13/302=4.3%、成人7/206=3.4%)。
アイヌ・・・0/20=0%
Hammer2006のアイヌ0/4=0%、Tajima2004の北海道日高アイヌ0/16=0%。
本州・・・73/1468=4.97%
Tajima2004の本州4/82=4.88%、Hammer2006の青森県2/26=7.69%・静岡県3/61=4.92%、Sato2014の川崎市大学生18/321=5.61%・金沢市大学生10/298=3.36%・金沢市成人11/232=4.74%・大阪市成人15/241=6.22%、Uchihi2003の名古屋市10/207=4.83%。
四国・・・29/458=6.33%
Hammer2006の徳島県7/70=10%、Sato2014の徳島市大学生22/388=5.67%。
九州・・・20/559=3.58%
Hammer2006の九州0/53=0%、Tajima2004の九州4/104=3.85%、Sato2014の長崎市大学生10/300=3.33%・福岡市成人6/102=5.88%。
沖縄・・・11/177=6.21%
Tajima2004の2/45=4.44%、Hammer2006の2/45=4.44%、Uchihi2003の7/87=8.05%。
色々説明したいし、持説も論じたいが、後回しにする。